よくある医師 求人への質問

温暖化による海面上昇で南太平洋のサンゴ礁国家などと同様に国土水没の危機が予想されるオランダあたりでは日本を環境テロリストと呼ぶ声があるが、その称号はまず自らに冠するべきであろう(こういうナショナリスティックな発言は、国際社会ではなんの益ももたらさないので、小さな声で言っておこう)。
ヨーロッパ文明が二百年ほどまえから自国の森林の再生を進め、この半世紀は海外での森林破壊のペースを格段に落とすことができたのは、地下資源の利用が本格化したからだ。 熱源が薪炭から石炭へ、さらには石油に変わる。
艦船は木造から鋼製へ、一部はプラスチック製へ変わる。 そして化学肥料と農薬による単収の増加が無際限に耕地を拡大する必要をなくした。
ヨーロッパ文明の末喬にして先端であるアメリカが、一人当たり森林面積約1ヘクタール(日本は0.2ヘクタール弱)という余裕をもって、日本に対してもっと木材を買え、いや丸太は売らない、木材製品を買えと迫れるのも、地下資源が利用できればこその話である。 そして、そのアメリカは自国産牛肉を日本に売り込むのに懸命となる一方、熱帯アメリカの森を伐開した持熱帯林はいかにして死ぬ力続性を欠く牧場で生産される安い牛肉を輸入して国内消費に当てる。
このルートの牛肉輸入は近年は減少しているが、これが世にいうハンバーガー・コネクションだ。 日本人は森と共生してきたかユーラシア大陸の西の端を覆った森林破壊の文明に対して、東のはじっこの島国で生まれた文明は森との共生を選んだ、とよく言われる。
環境考古学のY氏は、これを弥生以降のニッポンも縄文の自然観を引き継いだからだと説明している。 そうかもしれないが、縄文の自然観は都市文明以前には地球人類に共有されていたものであり、日本でそれが都市文明以後も「引き継がれた」のは、地形と気候と「古代国家の選択」がたまたまうまくかみ合ったせいだと私は考えている。
前に述べたように、日本列島は平地に乏しく、なだらかな丘陵地も少ない。 気候は夏季の高温多湿が特徴であり、ここで水稲が基幹作物になったのは必然的であったろう。

その水稲は、山が樹木で覆われていれば養分を含む潅概水を下流に供給するのでよく育つ。 逆に木を伐ってしまえば、洪水や土石流が耕地そのものを破壊する。
水田という農生態系が森林(日本では山林とほぼ同義である)と深いかかわりをもつことは、早い時期から学んできたはずだ。 そしてこの国土は、家畜を放牧するような地形にはほとんど恵まれていない。
もっとも、関東地方では古墳時代に畑作とウマの放牧を組み合わせて輪換農法が行なわれていたらしいことを示す発掘例があり、役牛の飼育を示す考古学的な知見も得られている。 さらにさかのぼった弥生時代に各地でブタが飼われていたことも確かである。
ブタは農耕にも荷役用にも乗用にも使えないから明らかに食肉用だ。 このように、古代の農耕は決して無畜ではなく、当然のことながら肉食も行なわれていた。
奈良朝以後、その肉食が禁じられるのは仏教思想に基づくとされている。 しかし、そこにはもっと深いところで国家の選択があった。
アメリカの文化人類学者M・Hは、特定の社会で何が食べられ何が食べられないかは栄養上のコスト(代価)とベネフィット(利益)の収支バランスによって決まる、という恐るべき明快さで食慣習を解読した。 日本の肉食放棄には彼の理論が適用できると思う。
食肉は、もちろん望ましいタンパク質給源であり、家畜は人間が食えない草を食って肉に変換してくれる飼育動物だ。 ところが、この変換効率はきわめて悪い。

ある研究者の和牛肉についての試算によると、一グラムのタンパク質を作るには13.5グラムのタンパク質が飼料として必要だという。 古代には霜降り肉なんか求めなかったはずだから、もう少し効率がよかったとしても相当なものだ。
この飼料を供給するためには広い草地が必要になる。 そういう草地は森林を破壊しなければ得られないし、日本では地形上の制約ゆえ破壊しても得にくい。
一方、コメのタンパク質含有量はコムギ以下でたいしたことはないが、必須アミノ酸をあきらめるか文明を捨てるかによって森林とのかかわり方は異なる。 だが、真に森林と共生する文明は、いまだかって存在したことがないフランスでは植物性食品中随一である。
充分な量の米食をすれば、コムギ食のように肉を食わなくてもよいのだ。 となると、家畜にタンパク質の迂回生産をやらせるより、水田にイネを、牧草地になりうるような場所には雑穀や芋(サトイモ。
この必須アミノ酸バランスも米につぐ)を作付け、それを人間が直接食するほうが得である。 動物性タンパク質は魚介でまかなえばよい。
また、表向き愛玩用として飼育するニワトリは内々食ってもよい、ピョンピョン跳ねるウサギは4足獣ではないことにしよう、イノシシは山に棲むクジラと考えようじゃないか、という禁止の微調整も行なわれた。 ウシだって食品ではなく薬品として食ったのだ。
うん、医食同源。 むろん、天武や聖武およびその配下の官僚が、飼料効率を計算したり栄養分析を行なって肉食禁止を打ち出したなどという話ではない。
日本人には家畜を飼うことの得失が無理なく納得され、肉食禁止も受容されたということである。 こうして日本では、森林破壊者である家畜の個体数を最小限に抑えることができた。

おまけに温暖な気候は植生の回復に味方し、用材や燃材を伐り出しても、かなりのところまで自然に森が回復する。 薪炭材を伐採しても切り株から萌芽林を再生させ、落葉落枝を稲作の肥料として持ち出しても完全には林地を荒廃させなかった里山経営の技術を考えると、日本人は森と共生したという説は正しいように思える。
しかし、日本でも木は常に足りなかった。 所三男氏(徳川林政史研究所)は、平城京以前のたび重なる遷都の一因として、都城・社寺造営用材採取の便・不便があったことを指摘すべきだと記しているが、そうだと思う。
輸送力に制約があって採材圏が狭いうちは、都は一カ所にとどまれなかったのだ。 旧都周辺が砂漠化しなかったのは植生回復力に恵まれていたからである。
すでに7世紀には薪の採取を禁じた例があり、8世紀初頭には植樹造林が勧奨されている。 禁制によって消費を抑える一方世界でももっとも早い時期から取り組まれた植樹、これが日本の森林政策の基本だ。
しかし、瀬戸内海沿岸部をはじめ、近世末期には各地に荒廃した山が続出していた。 消費を抑制し、植林に励んでも、森林破壊は目に見えるほどに進んだのだ。
そして、明治政府が荒廃林地の森林再生に取り組めたのは、エネルギー源として石炭が使われるようになり、初めは北海道を伐開し、ついでサハリン(樺太)や沿海州に手を伸ばし、北米や東南アジアからの輸入も加えて木材資源の調達ができたからである。 こういう条件がなかったなら、いかに日本人の心性に山に対する畏怖の念が強く刻まれていたとしても、日本の森林は明治期にほとんど荒廃していただろう。
森との共生説は、その点を割り引いて考えなければならない。 つまり、この島国の文明も程度の差はあれ森林に対して破壊的だったのであり、真に森と共生する文明は、かつて地球上に存在したことがないのである。

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